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2010/2/3
原点は村の鍛冶屋!!!
昨日の朝、出勤途中の車の中で何気無くラジオを聞いていたら、200年続くという県内にある刀鍛冶のインタビューが流れていた。
少なくなったとは言え、鍛冶屋はまだまだあると思うが、その刀鍛冶は知らなかった。
ただ、刀鍛冶と言っても、刀を作るのは年に数える程度で、殆どは包丁を作っているとか。 そのインタビューを聞いていると、私がまだ幼かった頃見ていた父の姿が浮かんできた。
ハンドルネームそのままに、私は鍛冶屋の息子として生まれた。
刀鍛冶ではなく、文字通り村の鍛冶屋でしたけどね。
大正生まれで、農家の3男坊であった父は、尋常小学校しか出ておらず、小学校を出たまだ少年の時に鍛冶屋へ修行に出された。
生前多くは語らなかったが、まだ戦前のこと、鉄拳を交えての厳しい修業だったようだ。
修行に耐えた甲斐があって、鍛冶屋として独立したわけだが、その時実家からもらったのは、な、なんと、まな板一つ。
包丁は、自分で作った物があったのでなかったとか。
昔の農家の3男坊なんて、これが当たり前だったのかもしれないが、今でも、母が恨み事のように思い出しては言いますね(笑)。
しかし、時代の流れで残念ながら鍛冶屋では食っていけなくなり、やむなく鍛冶屋を廃業。
仕方なく勤めに出たところが鉄工所。
そこで、どのくらい働いたかは知らないが、仕事を覚えると独立して、今度は鉄工所を開業。
大変な悪ガキ、おまけに3男坊ということで、父は、小学校にも毎日は行っていなかったようで、新聞の漢字なども半分くらいしか読めませんでした。
今になって驚くのは、そんな父が鍛冶屋、そして、鉄工所と独立して商売をやったことですね。
ただ、儲けることに関しては全く無頓着で、包丁を研ぐだけだったらお金を取らなかったり、いくらお金になっても気に入らない相手だったら断ったりと、商売人としては失格で、子供たちには全く美田?は残してくれませんでした。
おっと、鍛冶屋の息子という天下一の美田?を残してくれましたけどね(笑)。
記憶がはっきりしないが、父は溶接の資格試験だったか、技能試験は合格しても、筆記試験は何回も落ちてしまったようだ。
問題の中に読めない字があったためらしいが、何回目かの挑戦の時に、顔馴染み?になった試験官が、父の横に来て小声で問題を読んでくれたとか。
古き良き時代、なんと大らかで思い遣りがあったことでしょうか。
その試験官の御蔭で父は合格し、後には建設業の許可(県知事許可)まで取ってしまったようだ。
ちなみに、蛙の子は蛙で、種別は違いますが私も建設業の許可(県知事許可)は取ってはいますが(笑)。
儲けることは勘弁していただて、漢字もろくに読めない男が、鍛冶屋で独立し、食っていけなくなったら今度は鉄工所。
どうです皆さん、何の情報も無く、商売のやり方も見よう見真似の時代に、今考えると凄いことです。
父に限らず、昔の人の起業なんて、同じようなことだったのではないでしょうか。
確かに昔の人のバイタリティは凄いものがありますが、それ以前に、起業とか独立するということを、特別なこと、大それたこと、なんて意識はなかったと思いますね。
起業とか独立なんて、当たり前、普通のことしか考えてなかった時代ではないでしょうか。
漢字も読めない男が腕一本で生きて行く。
これぞ、ものづくりの原点じゃないですか。
世の中、不況、不況と言われ、世界のTOYOTAですらリコール問題で窮地に立たされていますが、まだまだ日本のものづくりは大丈夫ですよ。
資源がない国で、腕一本で生きてきたという誇りがあったからこそ、メイド・イン・ジャパンは世界一だったはず。
もう一度、腕に磨きをかけて頑張れば、必ず明るい未来が待っている。
さっ、皆さん、ご一緒にこの歌を歌いましょう。
私は大声で歌わしていただきます(笑)
『村の鍛冶屋』
1) しばしも休まず槌打つ響き
飛び散る火花よ はしる湯玉
ふいごの風邪さえ息をもつかず *ふいご・・・分かる人は少ないかな?
仕事に精出す村の鍛冶屋
2) あるじは名高き働き者よ
早起き早寝の病知らず
長年鍛えた自慢の腕で
打ち出す鋤鍬心こもる
亡き父は、大変な飲んだくれで、気に入らない相手の仕事は断るような、とんでもない男だった。
『あるじは名高き働き者よ』・・・この歌詞とは、ちょっと、いや、かなり違う(笑)。
それではまた。
≪今日の一言≫
母が私に文句を言う時の決め台詞。
「あんたは、お父さんによう似とる(よく似ている)」
独立独歩の血だけは流れていると思うが・・・
いくらなんでも、あんなとんでもないオヤジに似ているとは???
2010/1/29
新春賀詞交歓会!明るく元気が一番!
今日の夜、毎年恒例となっている取引先の新春賀詞交歓会へ参加。
不景気だからこそ恒例となっている行事は続けることに意義がある。
そんな感じの交歓会でした。
壇上で挨拶された業界の大先輩の方々も厳しいことを言われながらも、いつものように明るかった。
百数十人の参加者も、和気あいあいと歓談され、笑いが絶えなかった。
景品が当たるビンゴゲームがあったりと、大いに盛り上がりましたね。
どんな時代でも、明るく元気が一番。
最後は、博多祝いうた『祝い目出度(めでた)』。
締めは『博多手一本』。
博多は、いつも潔い。
粋な夜だったぜっ!。
それではまた。
2010/1/26
世界一以外は目指していけない!『やってはいけない経営方針』
世界一以外は目指していけない。
世界一しか売ってはならない。
驚異の社是、針金一本で年商90億。
医療用手術針で国内シェア90%。
眼科用メス国内シェア60%。
世界120ヶ国に輸出。
設立当初の1960年代、針のように細くて固いものはステンレスではできない、という全世界の共通認識を打破し、靱性と硬度の相反する性質を備えた錆びにくく折れにくいオーステナイトステンレス製針の開発・製造に世界で初めて成功した会社。
その名は、マニー株式会社。
こんな会社があったとは?。
昨日のテレビ東京「カンブリア宮殿」は、久々に食い入るようにして見た。 何故食い入るようにして見たか?。
もちろん、驚異とも言えるものづくり企業に感動したことは言うまでもないが、前日の日曜日に見たNHKスペシャル「メイド・イン・ジャパンの命運」に今更ながら愕然としたからだと思う。
デジタル家電の代表とも言えるテレビで、アメリカでのシェアはメイド・イン・チャイナに圧倒され、価格だけでなく品質も遜色ないという。
勤勉、そして手先の器用さも兼ね備えた日本人が作った製品は、その品質で他国の追随を許さず、世界一のものづくり大国だったはず。
それが、何故新興国の後塵を拝することになったのか?。
残念ながら、それは当然の成り行きとしか言えなくなってしまった。
今は、人が組み立てるのではなく、あらゆる製品は機械で作られる。
その機械は当然世界一の精度を誇るメイド・イン・ジャパン。
このメイド・イン・ジャパンを新興国が使えば、技術立国日本の製品と遜色がない製品を作ることは不可能ではないわけだ。
何という皮肉なことか。
これに、安い人件費となれば日本のメーカーでも負けてしまう。
此処に来て、日本のメーカーも生き残りをかけて実験とも言える賭けに出ている。
東芝ではコストを度外視した超高機能テレビを作り技術力を極めようとする試みが佳境を迎えた。
JVCケンウッドでは、自社生産にこだわらず、技術を中国メーカーに譲って製品を作らせ、そのライセンス料を企業収入にしていこうという動きも見られる
吉と出るか凶と出るか、これからが勝負だ。
しかし、大メーカーではなく中小零細のものづくり企業はどうなるのだろう。
こつこつ諦めずやることだけで良いのか?。
「メイド・イン・ジャパンの命運」に、ちょっとショックだったが、そんな時に、こんな元気なものづくり企業を見れたのはラッキーだった。
世界一以外は目指さないマニー株式会社の経営方針が凄い。
やることではなく、やってはいけないことを決めている。
正にランチェスター弱者の戦略そのものだ。
『やってはいけない経営方針』
1 医療機器以外はやらない
2 保有技術の無い製品はやらない
3 世界1の品質以外は目指さない
4 ニッチ市場(世界1,000億円以下)以外のものはやらない
5 世界中に販売できないものはやらない
手術用の針では世界一であるが、一度手術用のメスに挑戦して、その膨大な設備投資と技術の無さで、潰れる寸前のような大失敗をしたとか。
この教訓から、『やってはいけない経営方針』が決まったという。
零細企業である我が社が、この企業の全てを真似るなんて出来ないが、この『やってはいけない経営方針』は大いに学ぶものがある。
やることを決めるより、やらないことを決めることが企業存続の鍵かもしれない。
それではまた。
≪今日の一言≫
事業仕分けで、「なんで世界一を目指さなくていけないんですか?」なんて言った政治家は、目立っただけで何も分かっちゃいないぜっ???
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